福島県熱塩村
2011-04-05


娘の通う英語塾の先生から電話がありました。「被災地に贈りたいので、不要なランドセルがあったら寄付して欲しい」ということでした。今年小学校を卒業したばかりの次女は当然ですが、高校生の長女がランドセルを保管していたのには驚きました。「何となくランドセルは捨てられなくて・・・でも誰かに使ってもらえるのなら」と娘は言います。ランドセルを買っていただいた実家のお義父さん、お義母さん、そういうわけで2個のランドセルは被災地に行くことになりました。どうぞお許しください。


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先日、母とふたりで昼ご飯を食べました。そういえば昔、母が小学生だったころ、戦時中に福島県に疎開していたという話を思い出したので、「ところでお母さんは福島県のどこに疎開していたの?」と聞くと「熱塩村というところだよ」との返事が。「とにかく柿がたくさんとれた。宿に帰ると百人位の子どもがいて食料もなく飢えているので、歩いているとあちこちの村人から『ここで食べておゆき』と柿をたくさんもらった」「ある日六年生の子どもだけ集められて女学校の受験のために一日だけ東京に行った。汽車に乗る前に、もしアメリカ軍の戦闘機が襲ってきた場合は、全員汽車を降りて、両側の森に隠れるようにという指示があった。今思うと受験なんてどうでもよかったのに・・・」など疎開時の思い出話を聞きました。

母がお世話になった熱塩村は今回被害にあっていないのだろうか?親切にしてくれた村の人たちは無事でいるのだろうか?と心配になり帰宅してすぐに地図で調べてみました。熱塩村は海から離れた内陸部にあり、原発からも離れているので、ホームページで見る限りは特に大きな被害はないようでした。(実際にはあるのかもしれませんが・・・)

私もいつか恩返しに福島県熱塩村を訪れたいと思います。できれば柿が実る季節に・・・。

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